y-u-k-iのブログ

仕事&彼氏&その他モロモロ・・
基本ディスりのブログ(笑)

人生③

出産後。

娘はまだ保育器に入ってたので私だけ退院。


毎日病院に行って未熟児室で看護師さんから

教えてもらいながらミルク飲ませたり沐浴を

したり。


小さすぎる娘を触りながら不思議な感覚。


金髪でハデな服を着た母親は私だけ。

未熟児室にいる他の母親達はドラマで

観るよーな「いい母親」に思えた。


同じ未熟児室で夫婦で来てて夫婦で子供に

接してる姿を見て何となく寂しかった。


けど。

そんなのわかってて産んだんだ!と自分に

言い聞かせた。


1ヶ月後。

3500グラムまで成長した娘は退院。


父も喜んでくれた。

母も喜んでくれた。


そして「育児」という鬼のような日々が

始まった(笑)


私には「厳しい」というイメージしか

なかった父が鼻の下を伸ばして娘と遊び。


私には「いつも泣いてる」というイメージ

しかなかった母が手慣れた様子で娘を

あやしてくれて。


家族4人の新しい生活がスタートした。

人生②

14歳。

中学2年生。

友達との遊びや悪いことに一番興味をもつ

年頃だった。


グレる「きっかけ」を手にした私は両親を

愛情を裏切り・・

やりたい放題の生活をした。


髪を金髪にして。

改造制服で登校して。

タバコを吸い。

シンナーを吸い。

夜遊びをして。

無断外泊をして。

何度もバイクを盗み。

無免許で乗り回し。

暴走族に入り。

警察に何度も捕まり。

少年院に行く一歩手前だった。


いつも母は泣いてた。

いつも父は怒ってた。


でも私は止まらなかった。


なんとか中学を卒業できた日。

家出をした。


地元の先輩や友達と離れ。

違う先輩や友達と付き合うよーになった。


毎日毎日遊びに夢中だった。


高校にも行かず。

バイトと遊びの日々。


18歳のとき。

水商売をしようと思って面接に行った。


飲み屋かと思ってたら性風俗店だった。


初めて「やばい」って思ったけど店員に

言われるまま接客して。

1人目の客へのサービスが終わったあと

「こんなもんか・・」と思った。


ガソリンスタンドでしかバイトしたことが

なかった私が初めての風俗で予想外の金額を

手にした。

そして「普通の仕事」から離れた。


しばらくピンサロで働いたけど欲がでてきて

「もっと稼ぎたい」と思いヘルスに行った。

欲は止まらず「稼げる店に行こう」と思って

横浜で働きだした。


その後も店を転々として。

ピンサロからヘルス。

ヘルスからソープランドに。


いつの間にか店のナンバーワンになり。

18歳にして月給250万だった。


もちろん生活はハデになり。

使っても使っても無くならない「お金」に

有難みなんてなくなった。


ホストや覚醒剤にハマりだしたのも18歳。


20歳のとき。

店が終わってプラプラしてたらナンパされ

付き合うよーになり。

すぐに同棲をはじめた相手が名前の知れた

「組」のヤクザの幹部だった。


妻がいて彼女もいて私と同棲をして。

本当にカス男だな・・と思ったけど沢山

いい思いをさせてもらってたから別れずに

「愛人」を続けた。


そして妊娠。


相手の男は妻がいるのに「産んでいーよ」と

軽々しく言った。


ヤクザの子を産むの?

私の人生どーなるんだろ?


毎日どーしたらいいか判らずに悩んでたら

中絶できる時期を過ぎてしまい・・

「産む」しか選択肢がなかった。


21歳でヤクザの子を妊娠。


ずっと家出してた父母の所に戻り。

妊娠している事。

相手は妻子もちのヤクザという事。

結婚しないで産むという事。


父に殺されるかもなーと思いながらも正直に

話した。


反対されるのかわかってたし。

自分が「世の中ナメてる」って事も自覚

してた。


けど・・

実家に帰った理由は毎日毎日「組」の事や

「女遊び」で忙しい彼の元で出産なんて

考えられなかったから。


正直に話をした後。

父も母も黙ってた。

泣きもせず。

怒りもせず。


沈黙のあと。


父は私に「これからは優先順位を自分から

子供にしなきゃいけないんだぞ」「結婚も

しないで産むって事はツライ事が沢山ある

かもしれないぞ」と。


そして最後に父と母から「皆で頑張れば

何とかなる」と。


本当の両親じゃないのに。

期待を裏切ったのに。

心配ばっかりかけたのに。


それでも愛情を注いでくれるの?


今まで私は何をしてきたんだろう?

どうやって両親に償えばいいんだろう?


その日。

私は改心する決意をした。


翌日。

母と産婦人科に。

妊娠中毒症になっていたらしく母子共に

危険な状態と言われた。

そのまま紹介状を持たされ大きな病院に。

即入院。

一刻を争う状態で医者の判断で夕方から

緊急帝王切開手術。

妊娠7ヶ月での出産。


両親と医者のおかげで1770グラムの女の子を

無事に出産しました。

人生①

私が生まれて間もなく両親は離婚して私は

母親に引き取られました。


私は生まれつき体が弱かったらしく高熱

ばっかり出してたらしい。


離婚した事によるストレスと初めての子供

って事と私が高熱ばっかり出している事で

ストレスが溜まり母親は私の事を疎ましく

思うよーになった。


高熱を出しても病院に連れて行かず・・


泣くのがウルさいと台所で寝かせてた・・


そんな状態を聞きつけた父親が私を引き取り

父親の母(おばあちゃん)と父親と私での

新しい生活が始まった。


けど父親は定職についてなく健康保険も

払えない状態だった。


私は相変わらず高熱ばっかり出してて。


けど保険証のない父親が私を実費で病院に

連れていく経済的な余裕があるハズもなく

悩んだ末に父親の兄夫婦に私を引き取って

もらう事にした。


父親との別れの日。

そんな事は全く知らない私は兄夫婦の車に

乗せられ「おとーさん」と何度も泣き叫び

連れて行かれた。


そのとき私は3歳。


母親に疎ましく思われてた事も何で父親と

別れたのかもわからないまま兄夫婦の家で

生活するよーになった。


それが今の私の両親。


兄夫婦には子供がいなかったので私の事を

本当の娘のよーに育ててくれた。


入退院を繰り返す私に嫌な顔もせず沢山の

愛情を与えて育ててくれた。


子供だったからか・・

高熱ばかり出してたからか・・

今までにない愛情を注いでもらったからか

私は本当の両親の存在すら忘れた。


そして14歳のとき。

たまたま目にした保険証に「子」ではなく

「姪」と記載されているのを見つけた。


「姪」って何?

辞書で調べて意味を知った。


それから間もなく父と大ゲンカをしたときに

保険証に書いてある「姪」って事を父母に

問い詰めた。


そこで真実を知った。


本当の母親にされてた事。

本当の父親が出した結論。


全てを話してくれた。


14歳だった私。

それを理由にグレた訳ではなく。

グレたかったから理由にした。


莫大な愛情を注いでくれた両親に牙を向き

私の転落人生がスタートした。